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「延王さまって」
就寝前の一時。
優しく髪を梳かれながら、心地よさと一日の疲れとで、思わずウトウトしかけた時だった。
最後の日課をこなしながら、鈴は突然言った。
「500年以上も王様をやってきただけあって、いろいろと艶聞も絶えなかったわけじゃない?どう思う?」
「さあ・・・。どうって言われても」
陽子の、何を突然、という心の声が聞こえたのだろう。
鈴は慌てたように、唐突な問いの訳を答えた。
「やっぱり、相手があれほどに魅力のある方だと、不安も多いのかしら、ってちょっと思ったの」
それへ、陽子は苦笑しながら軽く言った。
「あんまり、そういうの考えたこと無かったな」
「まあ!陽子ったら相変わらず暢気なのねぇ」
呆れた声が、頭上から降ってくる。
「だって、姿の見えない、居るか居ないかもわからない相手に嫉妬したって仕方がないじゃないか」
肩を竦めながら、陽子は苦笑とも微笑ともつかぬ笑みを浮かべてみせた。
「まあ・・・そう言われればそうなんだけど」
質問の答えが納得のいくものでは無かったので、紅い絹のような髪をサラサラと梳く鈴の顔には、小さな不満が浮かんでいた。


嫉妬とかそういうのは、良くわからない。
だって、経験したことが無いから。
あの人と想いを交わしてから、先の見えない大きな不安に押しつぶされそうになったことは数あれど、さすがに浮気の心配まではしたことは無かった。
延王が他の誰かに心を移すことなんて、考えたことがなかった。
そんな自分は、やはり暢気なのだろうか。


***

「主上、延王さまがお見えです」
午前の仕事が終わり、昼餉を取るために部屋を出た陽子に、唐突でよく馴染んだ情報が齎された。
「?どこに?」
「それが・・・・・自分で会いに行くと言って、どこかへ・・・」
「おとなしく待っていてくれればよいものを」
陽子は少し大げさに溜息を一つ吐いた。
まあ、こんなやり取りもそろそろ慣れてきた。
あの人の神出鬼没ぶり、予測不可能な行動はいつものこと。
「あの・・・お探しして参りましょうか?」
「いや、いい。それこそ自分で行く。もしも延王が此処へ戻ってきたら、留めておいてくれ」
「わかりました」
陽子は、廊下へ出ると、キョロキョロとあたりを見回した。
もちろん、広い敷地のこと。
ざっと見渡したからといって、目当ての人物が視界に入るわけも無い。
「さて、どちらへと向かったことやら」
少し考える仕草の後、陽子は、園林の方へと足を向けた。
とりあえず、いつも二人で花を愛でたり散策したり、気に入りの園林へと行ってみることにした。
こんなとき、あまり広い敷地もなかなかに不便なものだと思わざるを得ない。
呪のかけられた長い階段や廊下などは別物として、探し物(人)をするときには何と言ってもこの広さが恨めしい。
他国の者がそう易々と入れる場所ばかりではないのだけが救いである。
ただ、そんな線引きも、相手が相手であるだけに、あまりあてに出来ないというのも実情ではあったのだが。



背筋を伸ばしたまま、慣れた道順を辿る。
陽子の好む草木の香りが、主を迎えるかのように包み込む。
園林へと踏み込む手前で立ち止まると、静かに深く息を吸って、自然の優しく芳しい薫りを体内に取り込んだ。
連日の忙しさに、感じていた隠し切れない疲れが、浄化されていくような気がした。
陽子は、癒される心地で園林へと足を踏み入れた。
まるで間違い探しでもするかのように、彼の人の片鱗を探す。
そしてそれは、わりと容易に達成された


路亭のすぐ傍、木の陰になっているあたりに、目当ての黒髪を見つけた。
いつものように、身軽で質素に見えるが、高価なことは間違いない着物が、風に煽られ靡いている。
こちらには気づいていない様子に、悪戯心が湧きあがった。
足音と気配を極力殺して、出来るだけそばまで近づいて、あわよくば脅かしてやろう、そう思った。

8.24


***

「困ります!私には、そのようなこと・・・」
突然、女の声が耳に飛び込んできた。
男だけだと思っていたので、意表を突かれて驚いた。
思わず、木の陰に身を引き入れて、晒される無防備さから逃れた。
「何を心配することがある?お前さえ黙っていれば、誰にも知られることは無い」
「そ、そういう問題ではございませんわ!」
ハキハキとした、陽子が良く知る話し方。
良く知る声。
「ではどのような問題だ?」
「私には、主上を騙すようなまねなど―――」
「騙すなど、人聞きの悪い。何も無かったことと思い、口を噤んでいてくれればそれでよい」
「ですけれど・・・」
「俺はただ、本当の気持ちが知りたくてお前に問いただした。お前は答えてくれた。それだけのことだ」
「・・・・・・・」
迷う瞳で、祥瓊は足元を見つめた。
その仕草がとても女っぽくて、陽子は思わず息を呑んだ。
と、不意に尚隆が、祥瓊の肩を抱いたように見えた。
その瞬間、陽子は体の中から血液が一気に引いていくような感覚を覚えた。
血の気が引くというのはこういうことなのだと、どうでもいいようなことを、頭は考える。
「動くなよ」
男の声が聞こえた。
そして。
顔を上げた祥瓊に、黒髪の流れる背中が屈みこんだ。
まさか、と脳は否定する。
けれど、見たものが全てだと、心が訴える。
ドクドクと、引いた血液が勢い良く流れ出し、まるで心臓を破りそうな勢いで体を駆け巡り始めた。
これ以上、見てはならないと思った。
二人に見つかってはならないと思った。
この状況を冷静に考えるよりも、そのことだけが頭を占め、ただその場からそっと逃れることだけを心が望んでいた。
勝手に震えだす体なのに、その行動は素早く正確であった。
陽子は、二人に見つかることなく、そっとその場から離れた。

8.27


***

気分が悪いからと言い置いて、執務室へ戻ることなく自室へと引き取った陽子は、臥牀の隅に縮こまって衾褥に包まっていた。



気分が悪いのは本当だった。
先ほどから胃の辺りがムカムカして、立っていられない。
大きく深く呼吸を繰り返しても、酸素不足の息苦しさは消えなかった。
そして、胸の真ん中辺りに黒くてもやもやとした塊が居座っていた。
それは、考えれば考えるほど少しずつ大きくなって、陽子の中を侵食していく。

何だろう、これは。
こんなもの、私は知らない。
こんな気持ちを感じたことは無い。

だから、今自分が抱いている感情が何なのか、それを何と呼んだらよいのか、わからなかった。
不安、寂しさ、悲哀、怒り、嫌悪、虚脱感。


苦痛。


いろいろな感覚が交じり合っているようで、その全てが不快で苦痛だった。
全て、負の感情。
この意識から切り離されたいと切に願った。
こんなものに侵されてゆく自分が、酷く汚れて見えた。
最初から、美しくなどなかったことはわかっているけれど。
でも。
初めて知った愛しいという感情が、他の何かに塗りつぶされてゆくのが耐えられなかった。
これが嫉妬という感情なのだろうか?
延王と祥瓊は恋仲になったのだろうか?
延王の心が私から離れてしまったのだろうか?
祥瓊は華やかで品のある美人だし、誰の目から見てもすばらしい女性だと思う。
ならば、私は?
なのに、私は―――。
あの人に褒められるたび、こんな自分でも少しずつ自信が持てたような気がしていた。
王として成長していくことで、一人の人間としても成長できているような、そんな気がしていた。
急に、それが全部都合の良い思い込みに見えてくる。
自分が、とてもちっぽけで貧相なただの小娘に思えた。




二人は、私を騙しているのだろうか?




考えれば考えるほど、深みに嵌まってゆく気がした。
この感情をどうすればいい?
こんな時、どうしたらいい?
この世界に流されて、この世界のことを何も知らず王になった。
けれど、知らなかったのはこの世界のことだけではなかったのだと、今気づいた。
私は、本当に何も知らない。
持て余した感情の処理の仕方さえも。

9.1


***

「主上。延王君がお見えですが、いかがいたしましょうか?」
外から声が掛けられた。
陽子は、ビクリと顔を上げる。
今、延王に会う自信は無い。
いつもと同じ顔で迎えるなんて、出来そうもないと思った。
「すまないが、まだ気分が優れないので―――」
「陽子、入るぞ」
言いかけた言葉を遮った男の声は、いつもと同じだった。
言うが早いか、陽子の答えも待たず、扉が開いて尚隆が大股で入ってきた。
遠慮の無い男の行動に、陽子は思わず抗議の声を上げた。
「せめて、答えを聞いてから入室していただけませんか」
「答えを聞いたら断られると思ったのでな」
「わかっていて・・・・失礼じゃないですか」
傍若無人全開の言葉に、陽子は思わず呆れた表情を浮かべた。
「それは失礼した。具合が悪いと聞いて、居ても経ってもいられなくてな」
そう、いつもの調子で言って、尚隆は臥牀の傍の椅子に腰掛けた。
近い。
そう思ったら体が勝手に距離を取った。
視線は逸らし、まるで身を隠そうとするかのように、衾褥をさらに引き寄せる。
陽子の僅かな変化も見逃さない男は、怪訝そうに眉を寄せた。
「大丈夫なのか?随分と顔色が悪いぞ?」
逸らされた顔を覗き込むために、身を屈める。
しかしそれは予想に反し、拒否という返答によって要斬された。
陽子は頑なに、此処から消失せたいとでも言うかのように臥牀の端に小さくなり、出来るだけ尚隆と距離をとっていた。
「陽子?」
身に覚えの無い拒絶にあった尚隆は、問いただすように名を呼ぶ。
いつもなら、そうして名を呼ばれることが、至福の瞬間だったのに。
陽子の名を呼ぶときにだけ含まれる、恋人同士にしか感じ取れない深愛の念も、今はまるで作り物のように感じられた。



―――何を信じたらいいのか、何に縋ればいいのか、わからない。



胸中の、渦巻く泥砂のような感情に耐え切れなくなった陽子は、男と視線を合わすことなく、掠れた声で押し出すように言った。
「一人にしてください」

―――クルシクテ、シニソウダ

「今は・・・・貴方と居たくない」
初めて相対した感情と向き合う術を知らず、男を問いただすことなど思いもつかない。
ただ、傍に居ればこの不快な感覚はさらに拡大して、汚れた想いが自分のすべてを真っ黒に塗りつぶすだろうことは、わかっていた。
拒絶は防衛反応。
早くこの、締め付けられる息苦しさから解放されたかった。

9.14


***

しかし、男はその一言を聞くと、抗う暇も無いほどに素早く少女の両腕を捕らえ、そこに貼り付けにでもするかのように、強制的に翡翠の瞳を見上げさせた。
「何があった?」
ただ事ではないことに気づいた尚隆の瞳は、厳格な光に濡れていた。
「何を思っている?何を感じている?」
問い詰めるような強い口調ではない。
それなのに、抗わせない力が流れ込んでくるようだ。
陽子は、沈痛さに眉を顰めて目を閉じた。
意識もしないまま、口は告げる。
「何も」
そして、男は叫んだ。
「俺はっ!」
腕を掴んだ手に力を込めて、一言一言揺さぶるように。
「このまま出ては行けん!お前と俺の間に今あるコレは何だ?お前は俺と目を合わせない。俺と居たくないと言った。こんな薄気味悪いものを放置したまま、では失礼、などと出て行けるものか!」
頼むから向き合ってくれと、心が言う。


「だって・・・わからない」
きつく目を閉じ、今にも泣き出しそうな表情で、陽子はようやくそう言った。
「信じたい気持ちと信じられない気持ちが鬩ぎあっていて、心が闇に侵食されていくみたいで」
唇が微かに震えていた。
顔色も失せ、青ざめている。
「汚い私を見られたくない」
見上げた瞳には、その鬩ぎあいがありありと見て取れた。
「汚い貴方を、見たくない」

―――嫉妬に狂う自分も、偽りで装飾された貴方も、見たくない。

「俺は、元より綺麗でなどありはしない」
「私だって!だけど!」
縋るように身を起こして、苦痛に顔を歪める。
「こんなふうではなかったはず。愛という感情は、もっと美しいものだと思っていた」

―――美しい輝きの中にだけ、居たかったのに。

「心はちゃんとここに有るのに、貴方を罵ってしまいそうだ」
男の胸の辺りにそっと触れながら、独り言のように消え入りそうに呟いて、陽子はくず折れるように力を抜いた。
敏い男は何かを確信して、窺うように目を細める。
「俺が何をした?」
「私を謀っている」
「何故?」
「何故!?貴方は祥瓊とっ!」
男に掴みかかるような勢いで、陽子は顔を上げた。
その手を捕らえて、尚隆はゆっくりと言った。
「園林で見ていたな?」
「見たくなどなかった!」
「俺を信じられないか?」
高ぶる激情に流されてゆく心に、もう他の何も見えなかった。
頭の中を、二人の姿が駆け巡る。
黒い髪がサラリと零れて、波打つ紺青の上に屈みこむ、その姿が。
「一体何を信じろと!?」
感情に任せて叫ぶその唇に、男の唇が重なった。
少女の口を塞ぐためではなく、柔らかく優しく甘やかに、心から愛しむものへの接吻を。
不意を突かれたことと、よく馴染んだその感触に、陽子は抵抗することも忘れて、呆然とそれを受け止めた。
我に返ったのは、男が唇を解放した時だった。
身を捩り腕の中から逃げようともがく。
けれど、尚隆は少女の体を腕に閉じ込め離さない。
「一時でいい、俺の顔を見ろ。俺の話を聞け」
抵抗する陽子に、辛抱強く言う。
「お前を愛している」
搾り出すように痛切に響く、言葉。
それは、少女の胸に突き刺さるように届いた。
小さな体から力が抜けて、抵抗の意を感じなくなった。
「頼むから、顔を上げてくれ」
優しい懇願に、陽子は恐る恐る顔を上げた。
穏やかな瞳に、疚しさは感じなかった。

9.17


***

「俺が祥瓊を呼び止めたのは、どうしてもあることが知りたかったからだ。祥瓊ならばそれを知っていると思ったからだ」
「ある・・こと?」
「そして答えは与えられた。けれど、そのことを誰にも知られたくはなかった。まして、お前には絶対に」
「それは不都合があるからでしょう?」
「そうだな。お前に知られることは、俺にとって不都合だと思った。だから誰にも言うなと祥瓊に頼んだ」
未だ厳しい表情のままの陽子の言葉に、尚隆は頷いてみせた。
「女々しく余裕の無い己を、お前に知られたくないと、変な自尊心が働いた。おかげでこんな始末だ」
自嘲の笑みを洩らして、肩を竦める。
「お前の本当の気持ちを知りたかった」
「私・・・の・・?」
「お前の普段の率直な言動も、色恋では全く真逆になるらしいからな」
そう告げる尚隆の顔には、珍しくも照れの色が微かに浮かんでいる。
「要するに、恋人の心に確信が持てず不安に苛まれた気の毒な男の愚挙と言うわけだ」

不安?延王が?

男の意外な告白に驚いた。
それは確かに真実の響きを帯びて聞こえた。
しかし、目に焼きついた二人の姿は、そう簡単に拭い去れぬほどの暗い疑念を、陽子に抱かせていた。

信じたい。
だけど。

重なる影は、この瞳が見た、事実。
「それがもしも本当ならば、何故・・・・・・・」
つい口篭る陽子の頬を、羞恥が紅く染める。
次の言葉を、食い縛るように噛み締めた唇の隙間から、必死に押し出した。
「その・・・く、接吻なんてっ・・・」
「何のことだ?」
口に出すのも恥ずかしい一言を、ようやくの思いで問いただしたのに、当の本人は呆気にとられた顔で聞き返してきた。
「と、とぼけないでください!貴方が祥瓊の肩を掴んで、動くなと・・・・・」
「・・・・・・・」
「貴方にとってはたいしたことではないのかもしれない」
動じた様子も無い男の態度に、また少し傷ついた気がした。

こんなことをぐずぐずと言っている私が子供過ぎるのだろうか?

「だけど私にとっては重大なことなんです。とても・・・・・大切なことなんです」
たとえ唇一つでも、他の誰かに触れて欲しくないと思った。
こんな風に、まるで独占欲の塊みたいな自分は醜いと思った。
言葉を口にしながら、心は再びさらに落ちてゆく。
まるで他人事のような顔をしている男も、どんどん卑屈になってゆく自分も、全てを拒絶して閉じこもってしまえたなら、どれほど楽であっただろう。
「お前と契りを交わして以来、他の女と接吻した覚えは無い」
男は平然とした口調で、当然のように言った。
鈴の言葉がふと頭を過ぎった。

―――いろいろと艶聞も絶えなかったわけじゃない?

「きっと・・・・・・・あなたの永き時間の中には、いくつもの色恋があったでしょう。だから―――」
「だから信じられぬと?」
男の声はあくまで穏やかに発せられた。
一方の少女は、どうしても激情から逃れられずに持て余し、追い詰められる。
そんなことが言いたいわけではないのに。
思考が激しく飛散していて、真っ直ぐに一所へ向かうことが出来ない。
今この場に不似合いな事象までもが頭を過ぎって、考えなければならない想いに集中して向かい合うことが困難だった。
途切れがちな意志は、それでもたった一つの現実を突きつけて少女自信を苛む。
「信じたいと心は叫んでいるのに!重なる影がそれを塞いで閉じ込める」
「俺はお前を愛している。他の誰をも欲しはしない。お前だけがこうして腕の中にあればいい」
囁くように静かに言って、男は少女を抱きしめた。
そうすることで、全ての想いが伝ってゆくことを信じているのだというように。
微かに響く脈打つ鼓動と着物を隔てて伝わる男の体温が、陽子の中に愛しい感覚を呼び覚ましてゆく。


だけど、それならあれは?
   私の勘違い
目で見たものが全てではないのか?
   この人が違うと言ったのだ
己の視覚よりもこの人の言葉を信じるのか?
   延王は嘘はつかない
感情だけで真実を黙殺するようなまねをするつもりか?
   だって―――信じたい!


愛しさに流されそうになる心を、もう一人の自分が責め立てる。
両極の感情の狭間で引き裂かれそうになりながら、陽子は肺の中の濁った空気を吐き出した。
細く長い吐息は少女の切ない葛藤で震えていた。

9.20


***


「苦しいんです」
掠れた声が、吐息とともに吐き出される。
「考えると、焦燥と失望と憤りとで涙が出そうになる。こんなの、すごく嫌なのに・・・」
青ざめ、憔悴しきった態で呟くように言い募る少女は、震える両手で顔を覆った。
「悋気」
耳元で囁かれた言葉に、陽子は僅かに顔を上げた。
「人は人で有るが故に、誰かを羨んだり妬んだり嫉妬したりする。大小強弱差はあれど、美しい感情だけでなど測れ無いものがある。大切なのは、抱いた感情とどのように向き合うかだ」
500余年もの長きを生き抜いてきた者の言葉は重みが違う。
嘗て己の内なる荒波も秘峰も絶崖をも乗り越えてきた閲歴が、そこには確かに存在しているように見えた。
「今一度言おう。俺は、お前だけを愛している」
男は、少女の碧翠の瞳を真っ直ぐに捕らえ、その胸のうちを全てその言葉に乗せるように、真摯に一髄にはっきりと告げる。
それは、容易に少女の心に届き、事実ではなく真実を求めよと訴えた。

真実は、たった一つ。
―――ワタシハコノヒトヲアイシテイル。コノヒトハワタシヲアイシテイル。


陽子は、深呼吸でもするかのように再び深く深く息を吐くと、ゆっくりと腕を上げて、男の背中に静かにまわした。
今度は、少女からの柔らかい温もりが男へも届いた。
不規則に暴れていた心臓は、定まった心と呼応したかのように、穏やかに脈を刻み始め、温かい血液が正しく循環し始めた。
そして思考は正常に集い始め、少女の惑った心を有るべき行く手へと導く。

「貴方が信じろと言うのなら、私は貴方の言葉を永久に信じることにします。もしも万が一謀られたとしても、そのようなことはもうどうでもいい。自分が信じたいから信じ、その気持ちを貫き通すことに決めました」
少女は今まさに、胸中に渦巻く悋気の炎を克服し得たのであった。
「私の中の真実は、ただそれのみ」
その声には、先ほど失われていた力強さと張りが活き活きと蘇り、答えを得、確かなるよるべを手に入れた者のゆとりのようなものさえも感じられた。
「だけど」
少女の顔には、ようやく照れのような小さな笑みが浮かんだ。
「もうこんな気持ちを抱くのは御免だな。こんなことで仕事が滞っては、命さえも危ない」
強くならなければいけないと思った。
感情に流されない強さ、惑わされない強さ、信じる強さ。
私は、王なのだから。

―――この人の恋人なのだから。

「ならば、誤解を招くような行為は慎むよう、気をつけることとしよう」
そう言って、尚隆は笑った。
「だが、今度のことでようやく確信が持てた」
「確信?」
「お前が、やきもちを焼いてくれるほどに、俺のことを愛しているのだと、な」
ニヤリと唇の端を上げ、耳元に息を吹き込みながら囁いてやる。
陽子は一瞬で、その絹のような紅髪と変わらぬほどに染まりゆく。






「主上。台輔がお目通り願いたいと、いらしておりますが、如何いたしましょう?」
外から取次ぎの声が掛かる。
慌てて男の腕の中から立ち上がろうとして、平然とした男のその腕に引きとめられた。
陽子が何か声を発するよりも早く、男は艶やかな唇を己のそれで封じ込めた。
外へ応えを返すことも出来ず、少女は男の口腔内で呻くばかり。

きっと、景麒は陽子の不調を聞いて、慌てて様子を見に来たのだろう。
いくら台輔とても、主の応えなくその寝所へと踏み込むことなど出来はしない。
今頃、ヤキモキしながら待たされているに違いない。

「け、景麒に、大丈夫だと言ってやらないと―――」
「いや、だめだ」
「延王!」
「お前の悋気に当てられたようだ。俺もまた嫉妬で胸が焼かれる思いがする」
飄々と言いながら、少女の頬に、額に、首筋に、耳元に、男は口付けの雨を降らせる。
まるで、恋人の意識を全て己へと向けさせようと、躍起にでもなっているかのように。
「恋い慕うが故に、人はいくらでも愚かになれるものだな」
自嘲するように言って、尚隆は太く笑う。
「だが、その逆も然り」
そして、唐突に、悠然と陽子の体を解放すると、そばにある榻へどかりと座り込んだ。
思わず戸惑いの表情を浮かべた少女に、「呼んでやれ」と顎で示す。
何食わぬ顔で踏ん反り返っている恋人を、一瞬呆れたように見やってから、陽子は肩を竦めて立ち上がった。





初めて直面した、嫉妬と言う感情。
それもまた、この人を本気で愛したが故。
そう思えば、強く信じて進めるような気がした。

彷徨い歩く暗闇のなかで、やっと見つけた光の標。






ー了ー
9.23





*オマケ*


「ところで」
景麒が納得して退室していったとたん、陽子は妙にはきはきとした声できりだした。
「?」
「本当はあの時、祥瓊に何をしたんです?」
「信じることにしたのではなかったのか?」
「それはそうなんですけど、やっぱり気になることはハッキリさせておかないと」
そう言って、ニッコリと笑う。
余裕を見せているつもりなのかもしれないが、その笑顔が逆に恐ろしく感じて、尚隆は思わず一瞬口篭った。
「まあ・・・あれだ。なんのことはない。祥瓊の髪に草がついていたのでな」
「草~?・・・・・・・・・・なんだかベタすぎ」
「ベタ???」
「つまり、あまりにも当たり前すぎて、逆に嘘くさいってことです」
「・・・・・そう言われるような気がしたから、あまり言いたくなかったんだが」
信じると言ってくれた恋人に、やっぱり疑わしい目で見られて、ちょっぴりお気の毒な稀代の名君なのでした。
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