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照りつける日差しが、むき出しの腕と短くした髪から覗く襟足を焦がす。
少年は、こめかみに流れる汗を左腕で軽く拭うと、ふいに止めた足と意識を引き剥がすように大きく一つ深呼吸してから、ペダルに掛けた右足へと力を込めた。
自転車はすぐにスピードに乗って、潮風を切り走り出す。
「しょーがねーなぁ」
なかなか断ち切れない習慣に苦笑を洩らしながら、少年は一人呟く。
「いい加減、女々しい男だな、俺」
エネルギーいっぱいの夏の日差しを受けて、煌めく波へと視線を走らせ、少年はハンドルを握ったまま器用に肩を竦めた。
―――夏になったら泳ぎに来ようね
そう言って笑った彼女は、もうここには居ないのに。
少年は、こめかみに流れる汗を左腕で軽く拭うと、ふいに止めた足と意識を引き剥がすように大きく一つ深呼吸してから、ペダルに掛けた右足へと力を込めた。
自転車はすぐにスピードに乗って、潮風を切り走り出す。
「しょーがねーなぁ」
なかなか断ち切れない習慣に苦笑を洩らしながら、少年は一人呟く。
「いい加減、女々しい男だな、俺」
エネルギーいっぱいの夏の日差しを受けて、煌めく波へと視線を走らせ、少年はハンドルを握ったまま器用に肩を竦めた。
―――夏になったら泳ぎに来ようね
そう言って笑った彼女は、もうここには居ないのに。
***
「ただいま~」
愛車(自転車)を丁寧に車庫へと納めてから、少年は不必要にデカイ玄関の扉を開けた。
家の中は完璧なまでの空調がなされており、暑い外から帰った少年は生き返った心地で扉を閉めた。
まずは冷たいもので喉を潤そうと、リビングへと直行する。
楽しげな笑い声が漏れる部屋のドアを開けながら、少年は再度帰宅を知らせる挨拶を口にした。
「ただい・・・・・・・」
しかし、その勢いは途中で予想外の客の存在の為に急激に縮小され、どこか尻切れトンボに終わった。
いや、客が居るだろうことは予測していた。
外に停められていた車。
複数の人間の話し声、笑い声。
けれど。
「何マヌケな顔してるの。嫌な子ね。ちゃんとご挨拶なさい!」
息子を嗜めてから、客に「高校生にもなるのに、まだまだ自覚が無くて。ホント恥ずかしいわ」などと愚痴を零す母の言葉で、少年は我に返った。
「こんにちは・・・」
明らかに父や母の客なら、少年とてこれほど意表をつかれることは無かっただろう。
しかし、そこに居たのは、明らかな母の客と共に、少年と同じ年頃の少女が一人。
驚いた顔で少年を見つめているその少女は、そこに居るだけで酷く目を引く少女だった。
くっきりとした目鼻立ち。
陽になど当たったことが無いのではないかというくらい、白く透き通った肌。
ほっそりと頼りなげだけれど、病的には見えず、”可憐な”という形容詞がぴったりとくる。
まるでフランス人形のような、レースやリボンを惜しげもなく使ったワンピースは、この少女にとてもよく似合っていた。
やはりレースのリボンで結われた、ゆるくウエーブのかかったハチミツ色の髪が柔らかそうに揺れている。
夢に見るような美少女。
その姿に思わず見惚れた少年を、次の瞬間にはさらに呆けさせる展開が襲った。
***
「汗くさ~い」
可愛らしい声でそう言うと、少女は既に少年への興味を失ってそっぽを向いた。
「これ、梨雪。はしたない」
そう、美少女をたしなめた男は母の客であろう。
しかし、こちらもまた、違った意味で酷く人目を引く男であった。
高価なティーカップを優雅な仕草で口に運びながら、ゆったりとソファーに掛け、くつろぐ。
その体つきは男なのに、どう見ても女物の衣服を纏っている。
ちぐはぐな組み合わせなはずなのに、それが何故かとても上品で似合っているのが不思議なところだ。
ただ、一度見たら、二度と忘れない類の男であることは確かだった。
「だってお兄様、本当のことじゃない」
男にたしなめられ、桜色の唇を小さく尖らせた美少女は不満そうに答えた。
「たとえ本当のことでも、目の前にお母上がいらっしゃるのに失礼であろう」
俺に失礼じゃなくて、お袋に対してなのかよ!?
と内心突っ込んだのは当の少年本人だけで、母親のほうは「あら~、いいのよ~、だって本当のことですものねえ~」などと少女とにこやかに微笑み合っている。
少年の母親は、女の子、特にこれだけフリルとレースとリボンとに囲まれているのが似合うような女の子にはめっぽう甘い。
年頃の息子に向かって、事有るごとに「女の子を生めばよかったわ」と溜息混じりに愚痴るような母親なのだから仕方が無いと言えば仕方が無いのだが。
「とにかくさっさとシャワーでも浴びて、着替えてからいらっしゃい!六太」
なんだかとても面白くない気分で、少年六太はリビングに背を向けた。
その時。
「こんにちは。ご機嫌いかがですか、おばさま?」
背後に男が立っていたことに、まるで気がつかなかった。
振り返ったとたんに背の高い男とぶつかりそうになり、六太は慌てて後ずさった。
「まあ、尚ちゃん!いらっしゃい。随分顔を見せてくれなかったから、みんな寂しい思いをしていたのよ」
母親は満面の笑みで、その男に手招きした。
―――尚隆。
六太は無意識に男から視線を逸らした。
やっぱり俺は女々しい男だ。
でも。
どうしても。
どうしてもまだ、尚隆の顔をまっすぐに見る気にはなれなかった。
以前のように、何事も無かったように、笑ったり冗談言ったりからかいあったり、そんなことが出来る自身が、六太にはまだ無かった。
多分、尚隆が家への来訪を控えていたのは、六太に対しての配慮なのだろう。
それとも、後ろめたさ故なのだろうか?
「最近少し忙しくて。おじさんは人使い荒いですからね~」
尚隆は、六太の目の前に立ったまま、人好きのする笑顔で母親に無沙汰を詫びた。
―――やっぱだめだ!
尚隆の登場を無視するように、視線は逸らしたままで脇をすり抜けた六太に、変わらない男の声がかかった。
「六太」
無視してしまえばいいのに、思わずビクリと立ち止まってしまう。
その背中に、
「新しいDVD」
そう一言言って、小さな包みを放り投げた気配がした。
慌てて振り返ると、丁度少年の掌の中に、その小さな包みは行儀良く着地した。
「こっ―――」
こんなのいらねー!と言い返そうとする六太に、尚隆はニヤリと片眉を上げてみせてから、六太から母親たちのほうへと意識を移動させてしまった。
一瞬だけ一人取り残されたような六太は、すぐに我に返ると、わざと荒々しく部屋を出て行った。
尚隆が小さく肩を竦めたのは、見なかった。
***
自室に戻ると、勢い良くドアを閉めた。
ヒステリックな音はリビングにまで聞こえただろうか?
多分、聞こえはしなかっただろう。
これだけの広さの家なのだし。
―――楽しそうにしゃべってたし。
六太は背負っていたカバンを、これまた少々お行儀悪く部屋の隅へと放り投げると、そのままベッドへ倒れ込んだ。
高い天井を見上げていると、切ない記憶が六太の視界を覆った。
年相応な逞しさの背中に、遠慮がちに掴まるほっそりとした手。
風に弄られた紅く柔らかな髪が、少年の首筋を時折そっと撫でてゆく。
明るい笑い声。
揺れるシャンパンゴールドのドレスがとてもよく似合っていた。
一大決心でキスしようと思ったとき、近づくエメラルドの瞳が宝石よりも美しく輝いていた。
手を繋いだまま座った防波堤の上で、少女は無邪気に言ったのに。
―――夏になったら泳ぎに来ようね。
彼女はそう、確かに言ったのに。
「夏が来たよ。なのに、どうして・・・・・」
開いた瞳に映っているのは、揺れる水平線。
優しく切りつける思い出のなかにたゆたう少年を我に返らせたのは、微かに外から漏れ聞こえる蝉の声。
命あらん限り、とばかりに鳴き喚く蝉の声が六太の意識へと進入してきて、急に酷く耳障りになった。
六太は、数回瞬くと、勢い良くベッドから飛び起きた。
「こーゆーの、夏らしくねえよなぁ」
ふん、と自嘲すると、制服のシャツのボタンを外し始めた。
”汗くさい”なんて、べつにあの子に言われたからってわけじゃないけど。
さっさと着替えてさっぱりしたかった。
「あっち~な・・・・」
一人ごちてYシャツを勢い良く脱ぎ捨てたのと、部屋のドアが勢い良く開いたのとが同時だった。
「わっ!ちょっ―――な、な、何なんだよ!お前っ!」
六太は、意味を成さない音ばかりを発して慌てふためく。
むき出しの、良く日焼けした胸板に少女の視線を感じて、真っ赤になりながらもう一度言った。
「何だよ、お前!」
「あら、間違えちゃった。レディースルームかと思ったわ」
少女のほうは慌てた様子も無く、けろりとして肩を竦めた。
「何だよ、レディースルームって」
「お手洗いよ、お手洗い」
物珍しそうに少年の部屋の中をきょろきょろ見渡しながら、少女は答えた。
「っ!便所ならこの先の角を曲がった奥だ!」
「まぁ・・・・」
口に手を当てて驚いた表情の少女は、この性格を差し引いても十分に可愛らしいことは、六太も認めざるを得ないと思った。
けれど、
「下品な人」
呆れ果てた様子で肩を竦める姿はやっぱり小憎らしい。
「うるせー!早く出てけよ!」
力ずくで部屋から追い出すわけにもいかないので、目一杯の反撃手段は怒鳴ることだけ。
なのにそれだけでは、この少女には全く効果が無いことを、六太は思い知った。
***
「やっぱり尚隆の弟分なだけあるわね」
その口調に軽い侮蔑を感じて、六太はムッとした。
「誰が弟分だ!冗談じゃねー!あいつはただの、親父の弟の息子ってだけだ」
「そんなに怒鳴り散らさなくても聞こえてるわよ。ただの従兄弟だって言いたいわけ?」
取り乱し続ける(ように少女には見えた)六太をよそに、梨雪は勝手に部屋の中へと進入してくると、さらにキョロキョロと室内を見渡した。
見られちゃまずいものは、その辺に置いてないだろうか。
六太もまた自分の部屋の中を慌てて見回した。
「でもまあ」
そんな六太を追い越して、梨雪は窓から外を眺めたり、ラックに並べられているCDを覗き込んだりしている。
「あんな田舎くさい男と仲良しではモテなくなるのは確実ね」
「・・・」
「大体、尚隆なんかをいいって言う女の子なんて、居るのかしらねぇ?もし居たとしたら、きっとものすごく悪趣味なのね!」
「やめろ!」
自分でも驚くくらい、強い口調だった。
怒りに満ちた声だった。
少女は驚いてぱちぱちと瞬きを繰り返す。
それが、少女の心の底から本気の言葉では無いことを、六太ももちろんわかっていた。
かつて六太と尚隆が交わしてきたやり取りみたいな、そんな軽い気持ちからの言葉だと、わかっていた。
けれどどうしても腹立たしさを抑えることは出来なかった。
「お前が余計なこと言うな」
大声を出してしまったことを後悔するように、六太は押さえ込むように次の言葉を吐き出した。
そして、驚いた少女の次の感情は、不満だった。
「本気で怒鳴らなくたっていいじゃない!そんなに怒るようなこと言った?」
「・・・・・・」
「尚隆の悪口は聞きたくないってわけね。やっぱり仲良しなんじゃない」
違う、と思った。
尚隆の悪口に腹を立てたわけじゃない。
尚隆の彼女の話を聞きたくなかったんだ。
それも、彼女に落ち度でもあるような言葉を。
何も知らない、こんなワガママで自己中心的なお嬢様になど。
何も知らないやつになど、余計な事を言われたくなんかない!
「さっさと出て行けよ」
六太は、今度こそ少女の背中をぐいぐいと押して部屋の外へ追い出すと、勢い良くドアを閉め鍵をかけた。
蝉の声が煩いな・・・。
「何でこんなに・・・・今日は暑いんだよ・・・」
鍵をかけたドアを、背中で押さえながら、俯く少年の唇から小さな声が漏れた。
大好きだった夏を、嫌いになりそうだ―――
***
堤防の上に胡坐をかいて、海を見つめる少年の表情は無い。
波を見るとも水平線を見つめるともなく、少年は無の表情で海へと視線を向けていた。
繰り返す波の轟きを聞いていると、不快な痛みも引いていくような錯覚を覚える。
それは、あくまでも錯覚であるけれど。
「一人でたそがれちゃって、ばっかじゃないの?」
可愛らしい声で小憎らしい言葉が聞こえた。
振り向いたら、可憐な美少女が顰め面で立っているに違いない。
何で来るんだよ!?
いくら可愛くたって、彼女と話をすれば、イラつくだけなのはわかっている。
その意志を態度で表すために、六太は振り返ることはもちろん、返事をすることも、少しでも動いて反応することすらしなかった。
その気持ちを汲んで、さっさとどこかへ行ってくれればいいのに、少女は六太の態度などお構いなしで、さらに話しかけてくる。
「そんなふうに一人でいじけてたって、何も変えられないし忘れられるわけないのに」
何のことを言っているのか、すぐに気づいた。
「尚隆が話したのか」
低い声でやっと答えた六太に、少女は呆れた顔をする。
「そんなわけないでしょ?おばさまに聞いたのよ。六太が彼女に振られちゃった、って」
「何だよそれ・・・・」
余計なことしゃべりやがって。
無意識に舌打ちが漏れた。
息子の傷をえぐるようなことすんなよ。
不機嫌そうに唇を尖らせる。
帰ったら、徹底的に抗議してやる。
何もかもが最悪だ!
強く唇を噛み締める六太に、少女の声はさらに呆れを募らせた。
「そんなことくらいで一人で拗ねてるわけ?ホント子供なのね」
「うるせーな。お前には関係ないだろ」
「だって、あまりにもお子様過ぎて、見ていられない、って感じ」
「お前に何がわかるんだよ!」
「わからないわよ、何にも」
「だったら余計な口出しすんな」
高ぶる気持ちのままに、口調もきつくなってゆくのが自分でもわかった。
けれど少女はそれにさえ頓着する様子もない。
そして、あっさりと一言。
「よくあることだわ」
「はあ?」
あまりにも簡単な一言に変えられてしまって、六太は力の抜けた声を出した。
「よくあることよ」
それへ、少女はもう一度、今度は少し力の篭った声で言った。
「でも、それは誰のせいでもない」
「んなことわかってるよ!」
そうだよ、わかってる。
あいつのせいでも、彼女のせいでも無い。
「わかってないからいじけてるんじゃない。彼女が不実だったわけでも、尚隆に悪意があったわけでも無い。ましてや、六太に落ち度があったわけでもない」
「・・・・・・・・」
「ただ、出会う順番が逆だったってだけのこと」
彼女が俺より先に尚隆と出会ってたら、誰も傷つかなかったってことか・・・。
「そこで凹まない!!!」
俯き気味で無意識に暗い表情になっていく六太に、梨雪はぴしゃりと言い放った。
思わず条件反射のように、六太は背筋を伸ばした。
「恋愛なんて、間違えてこそ、傷ついてこそ、でしょ!?」
―――んなわけあるかよ・・・。
「さっさと彼女の影を乗り越えて、前を見なさいよ!」
あまりにもサバサバと少女が言うので、六太は思わず苦笑を浮かべた。
そして最後に、とても重大な秘密を打ち明けるかのように、少女は重々しく言った。
「そしていつか、本当の運命の相手に出会うのよ」
「本当の運命の相手?」
「いつまでもへそ曲げてる暇なんて無いのよ?」
「そんな、いつ出会えるかもわからない、本当に居るかどうかもわからない相手をどうやって待てっていうんだよ」
信じたい気持ちと信じられない気持ちの間で立ち止まる。
だって―――あの時だって、本当の運命の相手だと思っていたのだから。
けれど、そうやって、いつかは本当の本当に、巡り合えるのだろうか?
***
「だったら・・・・・・・・」
六太の物思いを破るように、再び少女の声が耳に届く。
ほんの僅か、戸惑うような間があった。
「だったら、とりあえず試してみてあげてもいいわよ?」
六太は勢い良く少女を振り返った。
それって、つまり・・・・・。
「付き合おうってこと?」
どうせ、高飛車な態度で言っているのだろうと思った。
少女は、六太と背中合わせのように道路のほうを向いて堤防に寄りかかっているので、正面からその顔を確かめることは出来ない。
斜め後ろから辛うじて見えるその横顔は、とても意外なことに、紅く染まっていた。
「冗談・・・・だよな?」
マヌケ顔でようやく言った六太の言葉に、少女は陶器のように滑らかな頬に朱を上らせたまますごい勢いで振り返ると、六太の肩を力いっぱい突き飛ばした。
たまらずバランスを崩して、反対側の砂浜に体ごとドサリと墜落する。
「いってぇ・・・」
「レディーに恥じを掻かせる気!?」
壁となった堤防の向こう側から、少女の憤る声が聞こえる。
ほんの少し、恥じらいの色が見えるのは気のせいだろうか?
六太は気圧されてヨロヨロと立ち上がると、弱々しく答えた。
「そういうつもりで言ったんじゃ・・・」
「だったらさっさと上がって来なさいよ。帰るわよ!」
六太は、何か腑に落ちない思いで愛車の元へと戻ると、少女を振り返った。
少女は、愛らしい唇を軽く尖らせ、
「早く乗せてよ」
当然とばかりに、腰に両手を当てている。
「早く戻らないと、兄様においていかれちゃうわ」
六太のまたがった自転車の後ろに横座りに座ると、ためらいもせずに年相応な逞しさの背中にしっかりと掴まる、ほっそりと白い手。
ほんの僅か、重なる記憶。
けれどそれは、似て全く非なるもの。
見かけよりもずっと力強い少女の手の感触に、六太はそっと笑った。
「ちょっと、何笑ってるのよ。早く行ってよ」
可憐な眉を顰めて、少女は再度急き立てる。
それに思いっきり肩を竦めてみせると、六太はペダルに足を乗せた。
「ったく、うっせーな。あんまり口煩い女は男にもてねーぞ」
自転車を漕ぎ出しながら、憎まれ口をたたく。
けれど、さっきのイラつきだとかモヤモヤした気持ちは、いつの間にかどこかへ消え去っていた。
小さく笑いながら、自転車をスピードに乗せる。
「あら、お生憎様。あたしは六太と違って選び放題なのよ」
「俺だって選び放題なんだよ。哀れまれる筋合いはねーよ!」
「無理して張り合わなくてもいいわよ」
「嘘じゃねー!こう見えてモテモテなんだよ、俺は!」
「はいはい。彼女に振られていつまでもしょぼくれてるモテモテくんね~」
「っーーーーー!!!もうここで降ろすぞ!」
「ダメよ!こんな暑い中、歩いたことなんて無いんだから」
そりゃそうだろう、こんな、陽にも当たったことがないようなお嬢様なんだから。
「仮にも男なら、ちゃんと女の子をエスコートしてよね」
胸を反らしながらツンとする少女に、六太は完敗の溜息を吐いた。
さっきから、完全に少女のペースに乗せられてしまっている。
自分は女の子を引っ張っていくタイプだと信じていたけれど、これはこれでも・・・・・・・・・有り・・・・・・・・・なのかな?
そんなことを頭の片隅で考えながら、少しだけ軽くなった心のぶん、力を込めて自転車を漕いだ。
夏の陽射しをたっぷり含んだ潮風が、少年と少女の脇をすり抜けていく。
暑い夏は、まだ終わらない。
ー了ー
*こちらもオマケ*
「そー言えばさ、暑い中を歩いたことのないお嬢様がどうやって一人で海まで来たんだよ?」
「そんなの決まってるじゃない」
ふと頭に上った疑問を口にした六太に、梨雪は当たり前のように答えた。
「タクシーで来たのよ」
「・・・・・・・・・・」
暑い中歩くには確かに大変かもしれないが、タクシーで来るような距離ではもちろん無い。
どんだけお嬢なんだよ!?
という叫びは、口には出さずに飲み込んだ。
「やだ!日に焼けちゃったかも」
先々のことを思って、深い溜息を吐く六太だった。
「ただいま~」
愛車(自転車)を丁寧に車庫へと納めてから、少年は不必要にデカイ玄関の扉を開けた。
家の中は完璧なまでの空調がなされており、暑い外から帰った少年は生き返った心地で扉を閉めた。
まずは冷たいもので喉を潤そうと、リビングへと直行する。
楽しげな笑い声が漏れる部屋のドアを開けながら、少年は再度帰宅を知らせる挨拶を口にした。
「ただい・・・・・・・」
しかし、その勢いは途中で予想外の客の存在の為に急激に縮小され、どこか尻切れトンボに終わった。
いや、客が居るだろうことは予測していた。
外に停められていた車。
複数の人間の話し声、笑い声。
けれど。
「何マヌケな顔してるの。嫌な子ね。ちゃんとご挨拶なさい!」
息子を嗜めてから、客に「高校生にもなるのに、まだまだ自覚が無くて。ホント恥ずかしいわ」などと愚痴を零す母の言葉で、少年は我に返った。
「こんにちは・・・」
明らかに父や母の客なら、少年とてこれほど意表をつかれることは無かっただろう。
しかし、そこに居たのは、明らかな母の客と共に、少年と同じ年頃の少女が一人。
驚いた顔で少年を見つめているその少女は、そこに居るだけで酷く目を引く少女だった。
くっきりとした目鼻立ち。
陽になど当たったことが無いのではないかというくらい、白く透き通った肌。
ほっそりと頼りなげだけれど、病的には見えず、”可憐な”という形容詞がぴったりとくる。
まるでフランス人形のような、レースやリボンを惜しげもなく使ったワンピースは、この少女にとてもよく似合っていた。
やはりレースのリボンで結われた、ゆるくウエーブのかかったハチミツ色の髪が柔らかそうに揺れている。
夢に見るような美少女。
その姿に思わず見惚れた少年を、次の瞬間にはさらに呆けさせる展開が襲った。
9/5
***
「汗くさ~い」
可愛らしい声でそう言うと、少女は既に少年への興味を失ってそっぽを向いた。
「これ、梨雪。はしたない」
そう、美少女をたしなめた男は母の客であろう。
しかし、こちらもまた、違った意味で酷く人目を引く男であった。
高価なティーカップを優雅な仕草で口に運びながら、ゆったりとソファーに掛け、くつろぐ。
その体つきは男なのに、どう見ても女物の衣服を纏っている。
ちぐはぐな組み合わせなはずなのに、それが何故かとても上品で似合っているのが不思議なところだ。
ただ、一度見たら、二度と忘れない類の男であることは確かだった。
「だってお兄様、本当のことじゃない」
男にたしなめられ、桜色の唇を小さく尖らせた美少女は不満そうに答えた。
「たとえ本当のことでも、目の前にお母上がいらっしゃるのに失礼であろう」
俺に失礼じゃなくて、お袋に対してなのかよ!?
と内心突っ込んだのは当の少年本人だけで、母親のほうは「あら~、いいのよ~、だって本当のことですものねえ~」などと少女とにこやかに微笑み合っている。
少年の母親は、女の子、特にこれだけフリルとレースとリボンとに囲まれているのが似合うような女の子にはめっぽう甘い。
年頃の息子に向かって、事有るごとに「女の子を生めばよかったわ」と溜息混じりに愚痴るような母親なのだから仕方が無いと言えば仕方が無いのだが。
「とにかくさっさとシャワーでも浴びて、着替えてからいらっしゃい!六太」
なんだかとても面白くない気分で、少年六太はリビングに背を向けた。
その時。
「こんにちは。ご機嫌いかがですか、おばさま?」
背後に男が立っていたことに、まるで気がつかなかった。
振り返ったとたんに背の高い男とぶつかりそうになり、六太は慌てて後ずさった。
「まあ、尚ちゃん!いらっしゃい。随分顔を見せてくれなかったから、みんな寂しい思いをしていたのよ」
母親は満面の笑みで、その男に手招きした。
―――尚隆。
六太は無意識に男から視線を逸らした。
やっぱり俺は女々しい男だ。
でも。
どうしても。
どうしてもまだ、尚隆の顔をまっすぐに見る気にはなれなかった。
以前のように、何事も無かったように、笑ったり冗談言ったりからかいあったり、そんなことが出来る自身が、六太にはまだ無かった。
多分、尚隆が家への来訪を控えていたのは、六太に対しての配慮なのだろう。
それとも、後ろめたさ故なのだろうか?
「最近少し忙しくて。おじさんは人使い荒いですからね~」
尚隆は、六太の目の前に立ったまま、人好きのする笑顔で母親に無沙汰を詫びた。
―――やっぱだめだ!
尚隆の登場を無視するように、視線は逸らしたままで脇をすり抜けた六太に、変わらない男の声がかかった。
「六太」
無視してしまえばいいのに、思わずビクリと立ち止まってしまう。
その背中に、
「新しいDVD」
そう一言言って、小さな包みを放り投げた気配がした。
慌てて振り返ると、丁度少年の掌の中に、その小さな包みは行儀良く着地した。
「こっ―――」
こんなのいらねー!と言い返そうとする六太に、尚隆はニヤリと片眉を上げてみせてから、六太から母親たちのほうへと意識を移動させてしまった。
一瞬だけ一人取り残されたような六太は、すぐに我に返ると、わざと荒々しく部屋を出て行った。
尚隆が小さく肩を竦めたのは、見なかった。
9/8
***
自室に戻ると、勢い良くドアを閉めた。
ヒステリックな音はリビングにまで聞こえただろうか?
多分、聞こえはしなかっただろう。
これだけの広さの家なのだし。
―――楽しそうにしゃべってたし。
六太は背負っていたカバンを、これまた少々お行儀悪く部屋の隅へと放り投げると、そのままベッドへ倒れ込んだ。
高い天井を見上げていると、切ない記憶が六太の視界を覆った。
年相応な逞しさの背中に、遠慮がちに掴まるほっそりとした手。
風に弄られた紅く柔らかな髪が、少年の首筋を時折そっと撫でてゆく。
明るい笑い声。
揺れるシャンパンゴールドのドレスがとてもよく似合っていた。
一大決心でキスしようと思ったとき、近づくエメラルドの瞳が宝石よりも美しく輝いていた。
手を繋いだまま座った防波堤の上で、少女は無邪気に言ったのに。
―――夏になったら泳ぎに来ようね。
彼女はそう、確かに言ったのに。
「夏が来たよ。なのに、どうして・・・・・」
開いた瞳に映っているのは、揺れる水平線。
優しく切りつける思い出のなかにたゆたう少年を我に返らせたのは、微かに外から漏れ聞こえる蝉の声。
命あらん限り、とばかりに鳴き喚く蝉の声が六太の意識へと進入してきて、急に酷く耳障りになった。
六太は、数回瞬くと、勢い良くベッドから飛び起きた。
「こーゆーの、夏らしくねえよなぁ」
ふん、と自嘲すると、制服のシャツのボタンを外し始めた。
”汗くさい”なんて、べつにあの子に言われたからってわけじゃないけど。
さっさと着替えてさっぱりしたかった。
「あっち~な・・・・」
一人ごちてYシャツを勢い良く脱ぎ捨てたのと、部屋のドアが勢い良く開いたのとが同時だった。
「わっ!ちょっ―――な、な、何なんだよ!お前っ!」
六太は、意味を成さない音ばかりを発して慌てふためく。
むき出しの、良く日焼けした胸板に少女の視線を感じて、真っ赤になりながらもう一度言った。
「何だよ、お前!」
「あら、間違えちゃった。レディースルームかと思ったわ」
少女のほうは慌てた様子も無く、けろりとして肩を竦めた。
「何だよ、レディースルームって」
「お手洗いよ、お手洗い」
物珍しそうに少年の部屋の中をきょろきょろ見渡しながら、少女は答えた。
「っ!便所ならこの先の角を曲がった奥だ!」
「まぁ・・・・」
口に手を当てて驚いた表情の少女は、この性格を差し引いても十分に可愛らしいことは、六太も認めざるを得ないと思った。
けれど、
「下品な人」
呆れ果てた様子で肩を竦める姿はやっぱり小憎らしい。
「うるせー!早く出てけよ!」
力ずくで部屋から追い出すわけにもいかないので、目一杯の反撃手段は怒鳴ることだけ。
なのにそれだけでは、この少女には全く効果が無いことを、六太は思い知った。
10.8
***
「やっぱり尚隆の弟分なだけあるわね」
その口調に軽い侮蔑を感じて、六太はムッとした。
「誰が弟分だ!冗談じゃねー!あいつはただの、親父の弟の息子ってだけだ」
「そんなに怒鳴り散らさなくても聞こえてるわよ。ただの従兄弟だって言いたいわけ?」
取り乱し続ける(ように少女には見えた)六太をよそに、梨雪は勝手に部屋の中へと進入してくると、さらにキョロキョロと室内を見渡した。
見られちゃまずいものは、その辺に置いてないだろうか。
六太もまた自分の部屋の中を慌てて見回した。
「でもまあ」
そんな六太を追い越して、梨雪は窓から外を眺めたり、ラックに並べられているCDを覗き込んだりしている。
「あんな田舎くさい男と仲良しではモテなくなるのは確実ね」
「・・・」
「大体、尚隆なんかをいいって言う女の子なんて、居るのかしらねぇ?もし居たとしたら、きっとものすごく悪趣味なのね!」
「やめろ!」
自分でも驚くくらい、強い口調だった。
怒りに満ちた声だった。
少女は驚いてぱちぱちと瞬きを繰り返す。
それが、少女の心の底から本気の言葉では無いことを、六太ももちろんわかっていた。
かつて六太と尚隆が交わしてきたやり取りみたいな、そんな軽い気持ちからの言葉だと、わかっていた。
けれどどうしても腹立たしさを抑えることは出来なかった。
「お前が余計なこと言うな」
大声を出してしまったことを後悔するように、六太は押さえ込むように次の言葉を吐き出した。
そして、驚いた少女の次の感情は、不満だった。
「本気で怒鳴らなくたっていいじゃない!そんなに怒るようなこと言った?」
「・・・・・・」
「尚隆の悪口は聞きたくないってわけね。やっぱり仲良しなんじゃない」
違う、と思った。
尚隆の悪口に腹を立てたわけじゃない。
尚隆の彼女の話を聞きたくなかったんだ。
それも、彼女に落ち度でもあるような言葉を。
何も知らない、こんなワガママで自己中心的なお嬢様になど。
何も知らないやつになど、余計な事を言われたくなんかない!
「さっさと出て行けよ」
六太は、今度こそ少女の背中をぐいぐいと押して部屋の外へ追い出すと、勢い良くドアを閉め鍵をかけた。
蝉の声が煩いな・・・。
「何でこんなに・・・・今日は暑いんだよ・・・」
鍵をかけたドアを、背中で押さえながら、俯く少年の唇から小さな声が漏れた。
大好きだった夏を、嫌いになりそうだ―――
10.11
***
堤防の上に胡坐をかいて、海を見つめる少年の表情は無い。
波を見るとも水平線を見つめるともなく、少年は無の表情で海へと視線を向けていた。
繰り返す波の轟きを聞いていると、不快な痛みも引いていくような錯覚を覚える。
それは、あくまでも錯覚であるけれど。
「一人でたそがれちゃって、ばっかじゃないの?」
可愛らしい声で小憎らしい言葉が聞こえた。
振り向いたら、可憐な美少女が顰め面で立っているに違いない。
何で来るんだよ!?
いくら可愛くたって、彼女と話をすれば、イラつくだけなのはわかっている。
その意志を態度で表すために、六太は振り返ることはもちろん、返事をすることも、少しでも動いて反応することすらしなかった。
その気持ちを汲んで、さっさとどこかへ行ってくれればいいのに、少女は六太の態度などお構いなしで、さらに話しかけてくる。
「そんなふうに一人でいじけてたって、何も変えられないし忘れられるわけないのに」
何のことを言っているのか、すぐに気づいた。
「尚隆が話したのか」
低い声でやっと答えた六太に、少女は呆れた顔をする。
「そんなわけないでしょ?おばさまに聞いたのよ。六太が彼女に振られちゃった、って」
「何だよそれ・・・・」
余計なことしゃべりやがって。
無意識に舌打ちが漏れた。
息子の傷をえぐるようなことすんなよ。
不機嫌そうに唇を尖らせる。
帰ったら、徹底的に抗議してやる。
何もかもが最悪だ!
強く唇を噛み締める六太に、少女の声はさらに呆れを募らせた。
「そんなことくらいで一人で拗ねてるわけ?ホント子供なのね」
「うるせーな。お前には関係ないだろ」
「だって、あまりにもお子様過ぎて、見ていられない、って感じ」
「お前に何がわかるんだよ!」
「わからないわよ、何にも」
「だったら余計な口出しすんな」
高ぶる気持ちのままに、口調もきつくなってゆくのが自分でもわかった。
けれど少女はそれにさえ頓着する様子もない。
そして、あっさりと一言。
「よくあることだわ」
「はあ?」
あまりにも簡単な一言に変えられてしまって、六太は力の抜けた声を出した。
「よくあることよ」
それへ、少女はもう一度、今度は少し力の篭った声で言った。
「でも、それは誰のせいでもない」
「んなことわかってるよ!」
そうだよ、わかってる。
あいつのせいでも、彼女のせいでも無い。
「わかってないからいじけてるんじゃない。彼女が不実だったわけでも、尚隆に悪意があったわけでも無い。ましてや、六太に落ち度があったわけでもない」
「・・・・・・・・」
「ただ、出会う順番が逆だったってだけのこと」
彼女が俺より先に尚隆と出会ってたら、誰も傷つかなかったってことか・・・。
「そこで凹まない!!!」
俯き気味で無意識に暗い表情になっていく六太に、梨雪はぴしゃりと言い放った。
思わず条件反射のように、六太は背筋を伸ばした。
「恋愛なんて、間違えてこそ、傷ついてこそ、でしょ!?」
―――んなわけあるかよ・・・。
「さっさと彼女の影を乗り越えて、前を見なさいよ!」
あまりにもサバサバと少女が言うので、六太は思わず苦笑を浮かべた。
そして最後に、とても重大な秘密を打ち明けるかのように、少女は重々しく言った。
「そしていつか、本当の運命の相手に出会うのよ」
「本当の運命の相手?」
「いつまでもへそ曲げてる暇なんて無いのよ?」
「そんな、いつ出会えるかもわからない、本当に居るかどうかもわからない相手をどうやって待てっていうんだよ」
信じたい気持ちと信じられない気持ちの間で立ち止まる。
だって―――あの時だって、本当の運命の相手だと思っていたのだから。
けれど、そうやって、いつかは本当の本当に、巡り合えるのだろうか?
10.14
***
「だったら・・・・・・・・」
六太の物思いを破るように、再び少女の声が耳に届く。
ほんの僅か、戸惑うような間があった。
「だったら、とりあえず試してみてあげてもいいわよ?」
六太は勢い良く少女を振り返った。
それって、つまり・・・・・。
「付き合おうってこと?」
どうせ、高飛車な態度で言っているのだろうと思った。
少女は、六太と背中合わせのように道路のほうを向いて堤防に寄りかかっているので、正面からその顔を確かめることは出来ない。
斜め後ろから辛うじて見えるその横顔は、とても意外なことに、紅く染まっていた。
「冗談・・・・だよな?」
マヌケ顔でようやく言った六太の言葉に、少女は陶器のように滑らかな頬に朱を上らせたまますごい勢いで振り返ると、六太の肩を力いっぱい突き飛ばした。
たまらずバランスを崩して、反対側の砂浜に体ごとドサリと墜落する。
「いってぇ・・・」
「レディーに恥じを掻かせる気!?」
壁となった堤防の向こう側から、少女の憤る声が聞こえる。
ほんの少し、恥じらいの色が見えるのは気のせいだろうか?
六太は気圧されてヨロヨロと立ち上がると、弱々しく答えた。
「そういうつもりで言ったんじゃ・・・」
「だったらさっさと上がって来なさいよ。帰るわよ!」
六太は、何か腑に落ちない思いで愛車の元へと戻ると、少女を振り返った。
少女は、愛らしい唇を軽く尖らせ、
「早く乗せてよ」
当然とばかりに、腰に両手を当てている。
「早く戻らないと、兄様においていかれちゃうわ」
六太のまたがった自転車の後ろに横座りに座ると、ためらいもせずに年相応な逞しさの背中にしっかりと掴まる、ほっそりと白い手。
ほんの僅か、重なる記憶。
けれどそれは、似て全く非なるもの。
見かけよりもずっと力強い少女の手の感触に、六太はそっと笑った。
「ちょっと、何笑ってるのよ。早く行ってよ」
可憐な眉を顰めて、少女は再度急き立てる。
それに思いっきり肩を竦めてみせると、六太はペダルに足を乗せた。
「ったく、うっせーな。あんまり口煩い女は男にもてねーぞ」
自転車を漕ぎ出しながら、憎まれ口をたたく。
けれど、さっきのイラつきだとかモヤモヤした気持ちは、いつの間にかどこかへ消え去っていた。
小さく笑いながら、自転車をスピードに乗せる。
「あら、お生憎様。あたしは六太と違って選び放題なのよ」
「俺だって選び放題なんだよ。哀れまれる筋合いはねーよ!」
「無理して張り合わなくてもいいわよ」
「嘘じゃねー!こう見えてモテモテなんだよ、俺は!」
「はいはい。彼女に振られていつまでもしょぼくれてるモテモテくんね~」
「っーーーーー!!!もうここで降ろすぞ!」
「ダメよ!こんな暑い中、歩いたことなんて無いんだから」
そりゃそうだろう、こんな、陽にも当たったことがないようなお嬢様なんだから。
「仮にも男なら、ちゃんと女の子をエスコートしてよね」
胸を反らしながらツンとする少女に、六太は完敗の溜息を吐いた。
さっきから、完全に少女のペースに乗せられてしまっている。
自分は女の子を引っ張っていくタイプだと信じていたけれど、これはこれでも・・・・・・・・・有り・・・・・・・・・なのかな?
そんなことを頭の片隅で考えながら、少しだけ軽くなった心のぶん、力を込めて自転車を漕いだ。
夏の陽射しをたっぷり含んだ潮風が、少年と少女の脇をすり抜けていく。
暑い夏は、まだ終わらない。
ー了ー
10/17
*こちらもオマケ*
「そー言えばさ、暑い中を歩いたことのないお嬢様がどうやって一人で海まで来たんだよ?」
「そんなの決まってるじゃない」
ふと頭に上った疑問を口にした六太に、梨雪は当たり前のように答えた。
「タクシーで来たのよ」
「・・・・・・・・・・」
暑い中歩くには確かに大変かもしれないが、タクシーで来るような距離ではもちろん無い。
どんだけお嬢なんだよ!?
という叫びは、口には出さずに飲み込んだ。
「やだ!日に焼けちゃったかも」
先々のことを思って、深い溜息を吐く六太だった。
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